小さな日本人の人生旅行記(ESADE MBA編)

英語が苦手だったごく平凡なサラリーマンが世界に出ていく体験を綴ります。

第二の故郷へ

試験終了から5泊でドイツのデュッセルドルフに行っていました(そのうち1日はブレーメンに日帰り、もう1日はケルンとボンに日帰り)。

 

・念願のBeck's工場見学

9年前にブレーメンに行ったことはあるのですが、ビール工場見学ができなかったのがずっと心残りでした。この度無事に行くことができてよかったです。私と嫁の他はドイツのおじさん2人で、3時間にわたるツアーはチャレンジングでした。全てドイツ語だったので、ドイツのおじさんやツアー担当のおじさんとドイツ語で話をしながら妻に通訳をするということもあり、頭の中はかなりかき混ぜられました。笑

ビール醸造のプロセスを聞いたり工場のラインを見学させていただきました。上面発酵・下面発酵については今回改めて理解を深めました。ビールは好きでビール検定も過去に受けたりしていたのですが、痛風持ちなので飲み方には要注意です。
巨大なAB InBevに買収されて以降、Beck'sとHaake Beckがどのように開発・製造・マーケティングをしてきているかも聞くことができました。ちょうど参加してた2人のドイツ人サラリーマンおじさんたちも税務関連でM&Aアドバイザーとして活動しているらしく、最後に試飲(大ジョッキ4杯という大盤振る舞い)をしながら議論を楽しみました。

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・第二の故郷へ

小学生の頃にデュッセルドルフ郊外に住んでおり、本帰国後も定期的にデュッセルドルフ・ボン周辺には友人の家に泊まりに行ったりしていたため、目新しいものはありません。デュッセルドルフへ帰るのも中1・大1・大3・大4・社会人2年目・社会人10年目(9年目で退職して留学中ですが)で6回目になります。東京に比べてデュッセルドルフの中心はあまり変化がないのが逆にいいんですよね。

逆に私が住んでいた郊外は家が増え、周囲の様子は帰国後10年ほどで変わってしまいました。家の隣と前が草原でうさぎがいつも走っていたのですが、今は民家になっています。さらに草原の向こうにはサッカー場があったのですが、それも草原に。散歩道だった畑のあぜ道も一部が私有地化されていて入れなかったりして、今回の訪問時にはまた若干の変化を感じました。とはいえ当時の雰囲気の大半は残っていたので嬉しいです(本帰国から23年ほど経過しましたが)。

今でもよく思い出します。ドイツ式(ペダルを後ろに回すとブレーキ)の自転車を飛ばして、周囲の子供たちと草原や近くの公園でサッカーをしたり、捨てられた馬車をアジトにして遊んだり、木の実をとってナイフでみんなで分けたり・・・。小学校の友達以外の近所の子ともよく遊んでいました。旧ユーゴスラビアの難民の子、イタリアやトルコの移民の子、現地で生まれ育った日本人の子、ドイツ人の子など様々な人に囲まれていました。彼らの多くとは連絡が取れず、今は何をしているんだろうか、と思う次第。

一方、当時は非常に海外生活としては初心者な環境にいたなあと感じます。日本に比べたら不便なことは多いですがスペインほどではありませんし、デュッセルドルフには日本人街があり何かと日本のものは手に入ります(倹約家な我が家は基本的に現地のものや食材で生活していましたが)。また、当時は父親が「日本企業で海外赴任」という守られた立場で、両親に守られて過ごしていたのです。デュッセルドルフにいる「サラリーマン」の家族の様子をみてそのように感じました。

何れにしても小さい頃のドイツの経験が「欧州に行きたい」という原動力になり、大学でドイツ語を本格的に学び直し、前の企業に入り(諸々で行けず・・・)、体育会で留学に行けなかったという心残りも合わさって「欧州MBA」を考え、キャリアチェンジの観点から長めのプログラム・費用(学費と生活費)等々の理由からバルセロナに行き着いたのだなあと思っています。

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地元の駅にて。電車の車両は23年前のまま(椅子のシートだけ新しくなった)

 

・将来どこに住むか

リタイア後にどこに住むかはすでに悩ましい問題です。家賃が安くて生活が楽な関西にするのか、欧州で天気のいいスペインにするのか(永住権をとるには経済的な工面が必要)、慣れ親しんだドイツにするのか(永住権は語学的にはクリア、あとは5年以上のキャリアが必要、、)。という将来の妄想をしています。