小さな日本人の人生旅行記(ESADE MBA編)

英語が苦手だったごく平凡なサラリーマンが世界に出ていく体験を綴ります。

ありがとうございました

帰国から本日で2週間が経過しました。

明日で自宅に戻ります。これにて実質的にMBA Journeyは終了です。

 

これまでは自分の留学経験を備忘録として書いていたのでだいぶ乱文でしたが、MBA受験生のみなさんや前職はじめ「自分には海外ビジネススクールなんて縁ないかも」という方々に見ていただきました。「もうーー歳だから」「うちはお金がないから」「英語なんて留学経験なくてできるようになるわけない」という事を理由にもう一歩踏み出せない方も多いと思いますが、行動を起こせばどうにかなってしまうも事実です。

 

私の入学前の状況はこのような状況でした。時間ある方はご覧ください。

https://kaigai-mba.com/testimonial2018/esade-2018/teamgeist/

本当に受験は思ったよりスムーズに行きませんでした。(しかしこのサイトも誤字が多い・・・笑)

 

このサイトでは、将来のビジョンについて以下のように記載をしていました。

Q. 留学後のビジョンを教えてください。 

現段階のビジョンとしては、最終的には日本の企業の人事をより良い方向に持っていけるような仕事につきたいと思っています。そのため、なるべくそのようなことについて学べる環境を、留学中に自分から作っていきたいです。100年以上(商品製造は約400年前から)続く保守的な日本企業で働いてきたため、卒業後は外資企業(ドイツ語圏就職も視野)でHR部門ないしはマーケティング、人事を中心に戦略に携われるような企業に勤めたいと思っています。

実際に思っていた方向に進んでいるのでよかったなと思いつつ、これからが大切です。自分たちの子供世代が日本でいきいきと働けるような世の中にしていきたいです。

 

そう遠くないタイミングで、違う角度で別のブログ等を開設して行く予定です。そちらではもっと多くの方のためになる情報を発信していく予定です(ビジネス以外のことも)。

 

ありがとうございました。

海外へのMBA留学では学べなかった(できなかった)7個の事

1、最後まで自分に強い自信が持てなかった

・やはりスーパーマンではない。

・根本的に自分の性格は大きく変わらない(中心に行きたくない症候群)。

 

2、日本での現場のコミュニケーション力とアウトプット力は身に付けられなかった

・忖度と人間の距離感が難しい日本でどれだけ物事を正確に伝えるか。

・世の中に何か影響を与えるには社会でアウトプットをする必要がある。

 

3、学んだハードスキルの身につき度合い・使える度合いは正直わからない

・当然最低限のことはわかっている。

・短期間で詰め込んだことは忘れるが調べればすぐ使える。

 

4、発想力の無さが解決されていない(逆に助長されている??)

・デザイン思考など、論理的にアイデアを出してもありがちな問題解決策が出てしまう。

・少し学んだ人であれば誰でも思いつくことしか浮かんでこない。

・しかも実用的でない頭でっかちなアイデアを言ってしまうことも。

 

5、英語の壁はいつまで経っても聞けない

・次の英語の壁(少人数・日本やアジアに理解のある人は問題ない。大人数のネイティブ同士の議論や自由奔放なラテン人やインド人、バーなどの賑やかな場での会話は至難)。

・正直勉強については日本で日本語で授業を受けたり本を読むほうが圧倒的に学びが多い(ハードの面では)。

・ケースも、外国人生徒が大体ものすごいスピードで意見をいうため対応が後手後手。

 

6、家計の限界を迎えた

・金銭的に厳しく、訪問するのを諦めたところや行くのを諦めたものも多い。(我が家の帰国時の全財産は約200ユーロ。。。)

 

7、外部要因のコントロールはどうやっても難しい

・経営戦略でも自分個人の人生でも、外部要因の変動リスクについてはある程度把握をするべき。

 

 

残念ですが、学校の授業で学ぶことは「よくよく時間をかけて考えたら自分でも思いつくフレームワーク」であったり、「振り返って言葉にまとめると、意外とあっけない一言で片付いてしまうほどの内容」であったりします。

そして欧州でこれまで現地の企業のマネジメント層とやりとりをする機械に恵まれましたが、MBAホルダーに対しては「パフォーマンスがいいかどうかその人の性質次第」というのをもっともよく聞きました。

要はこれからが大切です。

海外へのMBA留学で学んだ26個の事

帰国の機内で書き留めたもの その3

 

おそらく多くの人が「海外のビジネススクールに留学することで何が学べるの?」ということを疑問に思うと思います。

ビジネススクールにくる人は多様な経歴を持っていて目的・人生観も異なるので留学の時間を一緒に過ごしていても感じることは「人による」と思います。

 

以下は私個人が学んだ26の事です(キリのいい数字じゃなくてすんません)

 

1、自分の癖や特性を知った

・好きなこと、嫌いなこと、価値観。

・行動や思考のパターン。

・自分がなかなか取れない行動。

 

2、他人と比べることをやめようと決意できた

・羨ましい環境・羨ましい能力の友人たち。

・ただ一方で、自分の業務経験がいかに特殊だったかを思い知らされた。

・自分のスキルの多くは、前職の会社内でしか通用しないこと。

 

3、世界のハイパフォーマーがどんな人か学んだ

・疲れにくい & 運動習慣がある & 行動力がある

・上記の3つのいい循環ができている。

・人に優しく自分に厳しい。

・適応能力がある。

・自分のポジション(意見)があり主張はするが、他の人の視点に対する柔軟性がある(アサーティブ)。

 

4、「知識をインプットすること」の限界を知った

・そもそも勉強したいことは山ほどある。

・色々やり過ぎても得意分野を築けない。

インターンでの限界(発想力)。

・自分のリーダーとしての課題はまだ残る。

・そして自分のライフワーク達成には「アウトプットありき」という残酷な事実。

 

5、「全てをコントロールしようとすること」をやめた

・以前は社内に走っているプロジェクトや案件全てをある程度把握しようと必死だった。

ビジネススクール。とにかくやる事(やりたい事)が多い。また、やるべき事も絶えず変化する中、全てをコントロールするのは不可能である。

・集団の中での自分のポジションを見極めて、全体のために自分ができることをする。変に首を突っ込み過ぎない。

 

6、物事に過度に期待をしなくなった

・「こんなもんか」という感覚の連続。

・学校に対しても、企業に対しても、人に対しても、自分に対しても期待をし過ぎない。

・完全には機能しない海外。

・また、世界有数の企業も一般企業と同じ悩みを抱え、VUCAの時代を生きている。

 

7、お金の大切さを学んだ

・自分にとってどんなお金の使い方をするのが「我が道」なのか。

・自分のこれまでのお金の使い方をゼロから見直すきっかけができた。

・お金リテラシーを鍛えることができた。

 

8、お金のことを考え続けて生きることは幸せから遠のくことに気がついた

・受験期含め5年続いた貧乏生活。

・留学中は減り続ける預金額を見ながら毎週予算を修正。決して愉快な作業ではなかった。服は破れに破れ、髪は嫁に切ってもらうほど。

・将来についてのお金の心配は考えてもキリがない。

 

9、主体的に生きたもん勝ちだということを経験した

・世界は「言ったもん勝ち」「手を挙げたもん勝ち」。

・自分が納得して生きるための方法。

・成し遂げたいことは人に話すことが大切。

・他人に依存しすぎないことが大切(期待しすぎない)。

 

10、加点方式へ、思考転換ができた

・相手が何かをしてくれることは「当たり前」ではなく「ありがたいこと」。

・うまくいかない夫婦関係は減点方式によるもの。

 

11、全ては日々の積み重ねでしかない、ということを再認識した

・残念ながら自分は特段頭が切れる訳でも、もともと語学ができるわけでもない。

・トラックに乗って台車を転がして営業をしていた人間。

2014年に本が書けるくらいの挫折や紆余曲折を経験し、そこから這い上がってきた。将来はこの時の話で本を書こうと思っている。この時期を経ていろんなものを捨てたが、家族や親友の大切さが残った。

・毎日少しずつ勉強をして、これまで目標にしてきたことは実は達成ができている。

 

12、常に優先順位の見直しを行うことの必要性に直面した

・忙しい中、他の人の行動をみて色々やりたくなる。

・本当に必要なことは何か、何をしたら将来につながるか、自分の価値観に従うことになるのか。

・常に意思決定と振り返り。

・おそらく社会に戻っても同じことが起こるはず。

 

13、リスクについての考え方を磨いた

・リスクは避けるものではない。

・リスクは起こり得ることとインパクトを想定し、コントロールをするもの。

・結局世の中ほとんどのことに「絶対」はない。

 

14、慌てない

・意外とどうにかなる。

 

15、素直に喜ぶことも少なくなった(よくも悪くも)

・何かを達成しても、何かの節目を迎えても特別なことに感じない(あくまで積み重ねているものの1つの瞬間に過ぎない)。

 

16、永遠に自分を鍛え続ける必要がある

・自分を変えて世の中を変えようとすると 「勉強はこれで終わり」というのは存在しない。

・常に自分のOSをアップデートし続ける必要がある。

 

17、自分の常識は他人の非常識であることを認識した

・そもそも日本の常識は異常。

・自分が物事を見るときのフィルターと自分自身を混同させない。

 

18、ドイツ・ドイツ人について客観的に見ることができた

・いい部分も、悪い部分も・・・。

・今までドイツ人とほぼ全員仲良くなれたのは、向こうが日本に関心があったから。

 

19、欧州のダイナミズムや「世界への近さ」を体現できた

・複数言語は操って当たり前(特に北欧で身をもって経験できた)。

・おいている商品、話題にする映画などのポップカルチャーが一緒。

 

20、自分が将来どんなことをしたいかじっくり考えることができた

・大まかな方向性は入学前から変わらない。

・プライベート含め、長期のプランを考えることができた。

 

21、やりたいことは後回しにしない

・本当に人生でやりたいことは後にとっておかない。

・外部要因や諸々の不可抗力、自分の健康面などに左右される可能性があり、結局達成できない。

 

22、日々小さいことに意識を向け、楽しむようになった

・日本にいた時は空を見たり、季節の移り変わりを楽しむ気持ちが持てなかった。

・今は季節の移り変わりや綺麗な空、雲を楽しむことができるようになった。

 

23、人間の特性を知った

・いいこと・悪いことの大まかな原則は万国共通。

・振る舞いの仕方に地域差と個人差があり、それをどう受け止めるか・受け流すかが大切。

 

24、前の会社・職場環境・業務プロセス・社風を客観的に見ることができた

MBAに行ったからこそ体験できたインターンと他業種への転職。

・グローバル企業・成長企業と伝統的な日本企業の違いは大いに勉強になった。

・企業もそうであるが、前いた産業も客観視できた。

 

25、意思決定の連続を経験できた

・グループワーク。特にターム2はチームの中心で物事を進める機会が多かった。

・クラブの代表。どのようにイベントを組んでどのように内外の調整をするかをマネージした。

・お金と時間のやりくり。メリット・デメリット・優先順位・己の感情etc。それぞれを切り分けて適宜意思決定の連続。

 

26、日本の文化の特異性を再認識した

・日本は文化の国。

・日本人の計画性・グループワークでの規律・約束を守り、精度が高い。

・ただ、日本人がなかなかビジネススクールで中心になることはない。

 

 

いかがでしょうか。

よくビジネススクールというと、

ハードスキル(経営戦略やファイナンス・アカウンティングやマーケティング戦略)とソフトスキル(リーダーシップ・internationalな環境での業務遂行力・コミュニケーション能力・プレゼン能力)が学べる場所、というように描写されますが、私にとってはかなり違う結果になったようです。

 

上記の26個の学びをまとめてみて感じたところでは、私は「自身が幸せになるために必要な要素」を自分なりに模索し続けてなんとなく見えてきた、というのが1番の収穫でした。付帯して「会社に縛られなくてもなんとか自分で仕事を選んで渡り歩くために必要な馬力のようなもの」を身につけた感じでしょうか。

 

これはおそらく前の職場にいただけでは身につかなかった感覚でしょうし。国内で夜間or週末のMBAプログラムに通学したところで身につかなかったことであるように感じます。人によって学べることは違いますが、新卒でなんとなく就職したけど自分の生き方やキャリアに疑問を感じているサラリーマンの方にとって、一つの道として海外MBAはありだと思います英語ができなくても本当に勉強をして時間をある程度かければ行けるレベルにはなります。勉強法などもし何かお知りになりたいことがあれば、遠慮なくご連絡ください。

 

金銭的なROIでいうと、受験での費用+学費+サンクコスト+生活費の2国間の差額+旅費の全てを(理論的には)4−5年で回収できる見込みです。ですが、その間に私のキャリアが安定する保証もありませんし、それよりももっと大事なのは「どんな環境変化が起きても自分が納得して生きれるかどうか」でしょう。そのために必要なことを学んだり体験できたので、この留学は満足です。

 

*なお、いいことばかり書くとフェアではないので、留学をして学べなかったことやできなかったことを次回は掲載します。

留学の振り返り(時系列)

帰国の機内で書き留めたもの その2

 

時系列で振り返る留学生活です。

 

2018715日にスペイン・バルセロナに渡り、2020315日に去りました。時系列でどんな日々を過ごしていたかを振り返りたいと思います。

 

2018

7月: とにかく暑いバルセロナ。クーラーなく夜中も室温は30度を超えてきつかったです。

8月: 英語の補習を少し受けましたが、家庭の事情で緊急帰国。月の大半を大阪で過ごしました。

9月: 最初の週に1泊で、泊りがけの合宿をしたのが印象的でした。また、最初のプレゼンとグループワークで心をボキボキに折られました。

10月: クラブの代表になりました。グループワークが一番きつい頃でした。

11月: インターン就活に比較的多くの時間を割きました。とにかく時間が足りない日々を送っていました。コミュニケーションのクラスもプレゼンきつかったかな。

12月: ファイナンスの最終発表が個人的には山場でした。年末にドイツのStuttgartとスペインのマラガに行ったのがいい思い出です。インターン1社目決定。あとはガストロフェストが脳裏に焼き付いています。(詳しく知りたい方は当時の私のブログページをご覧ください)

 

2019

1月: インターン2社目決定。比較的早くインターンが決まった本当によかったです。

2月: フルタイムの就活を実施。フルタイム受けた企業は1社だけなんですよね。インターン企業からそのままオファーもいただけましたが。

3月: 課題や最終プレゼン・レポートで死にそうになりました。みんなが就活に悪戦苦闘する中、自分が中心になってグループワークを進める展開に。アントレのチームメンバーの自由奔放さに苦戦。。

4月: 急激にグループワークが楽になりました。イースターで北欧行ったのが一番の思い出。

5月: MBAT(ビジネススクールのオリンピックみたいなやつ)は楽しかったです。ビジネスシミュレーションはスペイン語でディスカッションをするアウェーな環境で辛かったです。

6月: ファイナルプロジェクトとスタディツアーinケープタウン南アフリカに行けてよかったです。

7月: 日本でインターン1社目(製薬)。自分ができることできないことを直視するインターンに。

8月: お盆以降は2社目(組織人事コンサル)。興味のあることが学べました。

9月: 引き続きインターン。このころはMBA後にどうキャリアを作っていくか非常に悩み、自分と向き合う時間でした。残念ながらJapan Trekがなくなったことも残念でした。

10月: バルセロナに戻り、すぐに授業。2年目になると明らかに周囲のやる気が落ちてびっくり。そして交換留学生はバルセロナを拠点に旅行するのが目的でこっちにきていることにも驚き(まあそりゃそうか)。10月はデモが過激化して家の前が燃える日々が続きました。

11月: 嫁がスペイン語の試験勉強頑張っていました。一方、自分は友人と遊びほうける日々・・・。

12月: 期末や最終発表で山場がありました(1年目と比べればそれほどでもない)。

 

2020

1月: コロナウイルスのニュースが連日報道されるようになりました。バルセロナに住んできると、この時は「中国の病気」という感じ。1月後半から春節でたくさん中国の人が来ていて、そのうちバルセロナにもコロナが来ると思っていました。

2月: 兄が遊びに来ました。アジア諸国でコロナが広がり、2月中旬に行ったギリシャでは(自分は気づかなかったですが)冷遇にあいました。Global Sales Strategyのクラスをヒーコラ言いながら頑張り抜きました。

3月: 学校の学業は正直流しの段階に。自分に必要な、その他の勉強をしました。スペインでコロナが急増。そのペースが想像よりも早く、卒業式や、仲良い友達が計画していた大きな送別会がなくなり、多くの人にさよならも言えずに帰国・・・。

 

振り返ると、193月くらいまで学業面で頑張り、6月までは最高に楽しみ、夏は日本でのインターンに捧げ、10月からだんだんと尻すぼみな感じでした。

突然の帰国・機内での心境

なんと、もう全てが終わったしまったのです。英語力ゼロ・英語での業務経験ゼロの自分が20代後半から必死に勉強して、受験プロセスもビジネススクール生活も心を折られることの連続でしたが、終わってしまったようです。

 

コロナウイルスの影響もあり、最後は盛り上がることなく尻すぼみで終わってしまいました。今は帰りの飛行機に乗ってこの文章を書いています(帰国翌日に投稿した形ですが)。

 

最後はスペインが非常事態宣言を出し、食料品と薬以外のお店が閉店になり、国も閉鎖されるのではないかという中、予定より2週間早くスペインから逃げるような形で出てしまいました。(と機内で書きましたが、飛行機から降りて1日経たないうちに実際に国境閉鎖になっているようですね。)

 

いろんな国籍の人たちとここまで濃密に接する機会はもうないかもしれませんし、たくさん飛行機で欧州をとび回ったりする生活も終わりです。でもなんか終わりという実感がないのです。

バルセロナ、カタルーニャに住んでみて感じてきたこと(さよならバルセロナ)

コロナウイルスの関係で多くの友人が緊急帰国、多くのお別れ会が見送られています。本来であれば来週が卒業式だったのですが。

 

一番仲の良かった友人とは、サシで最後に会いました。彼は就職活動に苦戦していましたが、無事に大手のIT会社のMBA卒向けのプログラムに採用になり、その話をしたりして笑顔でお別れできました。Term2のチームで一緒になってからお互いに困ったことがあれば相談しあうようになり、ファイナルプロジェクトでも同じチームで頑張りました。この時代、またすぐ会おうと思えば会えるのですが、最後にお別れと感謝の意を伝えることができて良かったです。明日もまた大切な友人と1対1で最後に会う予定です(まだ予定が会うかどうかは未定)。

 

色々あり飛行機を早め、あと2日後には帰ります。ただ、フライトが飛ぶのか、日本で入国できるのか、すぐに家に帰れるかはまだ不明です。

 

今回はバルセロナカタルーニャを感じることを書いていきます。おそらくこれからバルセロナで生活する方の中でも気づくことと、そうでない部分があるかと思いますが、個人の備忘録として書かせていただきます(乱文・長文お許しください)。

 

おそらくこういったことは、日本に帰ったら懐かしく感じるでしょう。

 

1、まずはカタルーニャ語

みんなカステジャーノ(いわゆるスペイン語)も話します。ただ、独自の言語に対するこだわりは強く、多言語で併記するときはカタルーニャ語・英語・カステジャーノという順番もよく見かけます(空港など)。

 

2、黄色いリボン

バルセロナにいるといろんな家のテラスに黄色いリボンがついているのをよく見かけます。街の落書きにもよく描かれています。これはカタルーニャ独立のシンボルです。独立派の方々がよくピンバッチをつけています。見た目が可愛いからか、何回かアジア人観光客がつけているのを見てひやっとしたことがあります。まあバルセロナの人はおおらか(あまり他人に干渉しないという方が正しいか)なので、ピンバッチをつけていても何もされなさそうではありますが。

 

3、Més que un club

これはFCバルセロナのチームのモットーです。スペイン語をやっている人からすると、綴りが違うのでは?と思われるかもしれません(スペイン語ではMás que un club)。これはカタルーニャ語である。意味はmore than a club、つまりクラブ以上のものである。どういう点でクラブ以上なのかは本当の意図があるのかもしれませんが、私はサッカーを4試合、ハンドボール2試合、バスケを2試合実際に見に言った中で、政治的なもの(カタルーニャアイデンティティ)を感じ取りました。 カタルーニャは1714年にカスティージャ王国(今のスペイン王国の元になっている国)に攻め落とされ、国家としての終焉を迎えました。FCバルセロナの試合(サッカーだろうがハンドボールだろうが)、前半後半の17分14秒になると地元ファンたちが「In! Inde! Indepandencia! (イン!インダ!インダパンデンシア!)」と叫ぶのです。何も知らない観光客サポーターたちは一緒に手を叩いたりしているのですが、これはあらかじめ意味を知っておいた方がいいと個人的には思います。 かのエル・クラシコでは祖先の仇であるマドリードとの対決になるのでこんな感じの雰囲気になります。ご参考までに。https://www.youtube.com/watch?v=bRuz2PzaVcE

 

4、ヘルメットを持ち歩いている人が多い

最初が比較的重い内容だったので、ここからは軽い内容にしたいと思います。バルセロナはバイクで動き回る人が多いです。ですので、ヘルメットを持って歩いている人をよく見かけます(大体おじさん)。中にはヘルメットをバッグがわりにして買い物をしている強者も。笑

 

5、昼から外でビール

法律上は路上でビールを飲み歩くのは禁止されています(公園含む)。地元の人はこのルールを守る傾向にあると感じています(公園での実態はここでは他言はしません。ただ、地元出身ではなく、南米出身の人が多いと見受けられます)。ただ、街中ではみんなカフェやバルの外の席(Fuera)でビールを昼から飲んでいます。「この人は何して行きているんだろう」というようなおじさんをいたるところで見かけます。

 

6、お昼ご飯は14時くらいから

どんなに早くても13時にならないと暖かいお昼ご飯が食べられません。レストランもあきません。地元の友人は14時から好きな時間休みを取って職場に帰るそうです。お店によってはシエスタがありますので、行ける時間に限って行きたい店がやっていない、ということもザラです。

 

7、夕飯は21時くらいから

20時、20時30分にならないとあきません。へたすると21時集合、22時集合もあります。南米人やイタリア人などはこのスタイルで慣れているので問題はありませんが、日本人からするとこの時間に適応するのは本当に大変です。私は早寝早起き人間なので、飲み会に行くときは18時・19時ごろに家でサラダを食べてから出かけます。

 

8、ツッコミどころの多い工事現場

サグラダファミリアの工事も時間をかけていますが、一般的な工事もとにかく日本に比べて長いです。隣の家はリノベーションにかれこれ1年半毎日工事していますが、いまだに完成に近づく気配はありません。 また、工事のやり方も非常にツッコミどころがあることが多いです。Passeig de Gracia(東京でいう表参道みたいな通り)のお店の取り壊しも巨大なハンマーでぶっ叩いて壊していて、昔やったゲームボーイドンキーコング(主人公はマリオで、マリオがハンマーで壁を壊したり敵キャラをやっつけてクリアするもの。以下はウィキペディア説明です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B0_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%A4))を思い出しました。 また、日本だと歩道に穴を開けて工事をしている場合歩行者の安全を守るためにフェンスで仕切ったり鉄の板で穴を塞いだりしますが、彼らはそんな丁寧なことはしません。穴を掘ってコーンを立てて終了、ということも何度も見かけました。

 

9、マシーン

Maquina(マシーンのこと)という単語をよく聞きます。工事現場や引越し業者の方々は、効率を考えずにとりあえずマシーンを使う傾向があります。よく見かけるのはアパートの上の方の階の窓に路上から直接ものを運ぶマシーンです。路上にマシーンを設置して上のテラスにも設置するのに時間がかかる上、下でタバコを吸って談笑をして暇そうにしているおじさんが多いのです。ぶっちゃけ物をみんなでエレベーターで運んだ方がはやいのではと思うことも多々あります。 また、スペインの機械はすぐに壊れ、修理にも時間がかかるので大変です。授業の関連で訪問した病院では最新の機械を導入していたものの、すぐ壊れて、修理の人もすぐに対応してくれなくて診察が滞っているという状態を目の当たりにしました。

 

10、カタルーニャ人の名前

スペイン人ならではの名前(カルロスとかマリア)も当然よく見かけるのですが、カタルーニャでよく見かける名前があります。こういう名前を見たり聞いたりすると、いかにもカタランだなあと感じます。 男性:Jordi(ジョルディ)、Jaume(ジャウマ)、Aleix(アレイシ)、Pau(パウ)、Josep(ジョセップ)、Lluis(ルイス)などなど 女性:Núria(ヌリア)、Montserrat(聖なる山で有名なモンセラット。ムンサラットという音の方がカタルーニャ語の音に近いと感じます。日本でいう富士子さん。笑)

 

11、カタルーニャのクリスマス

カガネルという、う◯こをしている人形が出店で売られます。また、メインはカガティオと呼ばれる顔のついた丸太(カタルーニャの帽子をかぶっている)に布を被せて木の棒で叩いて歌い、う◯このように出てきた(先に仕込んでおいた)お菓子を食べる風習があります。説明だとわかりにくいので、動画をご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=iBsnLk0bGKA

 

12、サンジョルディ

4月23日。バラと本を送るカタルーニャならではの日です。私も妻にバラを送りましたが、リボンはカタルーニャの柄でした。サン・ジョルディが恐ろしいドラゴンをやりで倒してお姫様を倒し、ドラゴンの心臓から血が出て美しいバラが咲き乱れた、という伝説を起源にした祝日です。

 

13、SNSを音声で送る人たち

これはカタルーニャだけではありませんが。スペイン人、南米人はSNS(whatsapp。日本でいうLINEみたいなもの)で、文章を書いて送らずに自分の声を録音して送るのが好きです。

 

14、音に対して寛容

電車内で動画を音声ありで聞く人あり、レストランやカフェではコーヒーマシンをガンガン叩いたりお皿ガッシャーンも日常茶飯事。日本は他人に迷惑かけないように音には神経を使います。一方で日本はいたるところで不要なアナウンスや店員の叫び声(いらっしゃいませー)が響き渡り、こだわるポイントが独特です。

 

15、日差し

本当に日差しが強く、冬でも日中陽の当たるところにいると本当にあったかいです。天気予報見ても偏西風に乗ってきた暑い雲は大体スペイン北部や、カタルーニャ手前の山やピレネー山脈にぶつかってバルセロナに来る前に雲が消えるのです。

 

16、差別されない(欧州の中では)

この街に来て、何度も店員さんに間違われる。ジムではインストラクターに間違われ、道を歩けば道を聞かれます(そういうスリ班もいるが、その手の人たちではなく普通に聞いてくるのです)。No estoy trabajando aqui.と何度言ったことか。さらに、カタルーニャ独立派関連の署名にも声をかけられて、自分は外国人だと言ったら驚かれました。もし日本だったら明らかに外国人風な見た目の人がいたらまずこういったことで話しかけないでしょう。コロナウイルスがものすごく広がった状態でもあからさまな差別は感じたことはなく、バルセロナの方々の人柄には敬意を表します。

 

今日も最後に我が家の水が下の階の住人にもれ、トラブルシューティングをして1日が終わりました。

最後の登校

Sant Cugatキャンパスへ最後の登校をしました。

 

自分はもともと今日の授業を持って全てのクラスが終了の予定でしたが、明日からはキャンパスはコロナウイルスで閉鎖となり、全てのクラスがオンライン化またはキャンセルになりました。

 

卒業式もなくなり最後にお別れを言いたかった人にも言えず、いつもの学校の終わりのようにキャンパスを後にしました。(一杯だけビールを仲間と飲みに行きましたが)

 

受験生だった時にキャンパスビジットしたのが初めての訪問でした。この街に戻りたいと思って受験をして、1年半通うことになりましたが、こうやって終わるとは。。

 

さて、あとは日本に帰るだけです。スペインは毎日数百人規模でコロナウイルスの感染者が増えていますが、無事に日本に入国できるでしょうか。