小さな日本人の人生旅行記(ESADE MBA編)

英語が苦手だったごく平凡なサラリーマンが世界に出ていく体験を綴ります。

進学前のもの思い

※自分の思考を整理しようと思っていたら長文になってしまいました。汗


こんにちは。6月末最終出社で退職をするため、これまで8年強にわたってお世話になった会社生活も、残すところわずかとなりました。

5月は企業の壮行会にいくつか参加しました。6月は比較的投資銀行の懇親会が多いのですが、個人的には次のステップとして投資銀行は視野に入れていないので、参加はしていません。


代わりに入ってきているのが、送別会。たくさん開いていただいていて、身に余る光栄です。


会社、周りの人にいろんな質問を受けて、改めて自分の中での考えが整理される感覚がある日々です。


「なぜMBAなのか?」というところはすでに以前書きましたが、「なぜスペインなのか?」「卒業後は何をするのか?」という事は本当に毎日聞かれています。


それよりも言われてハッとしましたが、「結婚したばかりでどうしてそんな思い切った決断ができるんですか?不安はないんですか?」という反応が多いです。


結論をいうと、「不安はないと言ったら嘘だけど、決して清水の舞台から飛び降りるようなドラスティックな決断ではない」というのが私の考えです。


1)決して珍しい決断ではない

MBA合格者の方々と接する中で、彼ら(彼女ら)の多くはMBAホルダーの同僚がいる環境です。

私の会社は名前と売り上げこそ海外中心ですが、実態はドメスティックで古き良き日本企業です。当然海外MBAホルダーは周りに皆無です。


そもそも「他の人も同じ考えをしているかどうか」は、思い切った決断かどうかの判断基準ではありませんが、そこが判断基準となっている人がかなり見受けられるので、以下のようなことを説明しています。


実際、多くの人が自分の費用で進学を決めています。

日本から毎年200人強くらいの海外ビジネススクール進学生がいるといわれています。感覚ですが、アメリカは社費派遣が多数派、欧州・アジアの学校では各学校によるといった形でしょうか。アメリカが比率的には高いので、社費の学生は全体で6〜7割くらい。

だいたい50-80人の私費学生がいます。

(休職している人、社費だけど転職希望の人もいるので、実際はグレーゾーンは想像よりも広そうです)


※昨年合格をもらって1年延期しており昨年との比較で実感しているところではありますが、より欧州・アジアの学校に行く人が増えているように思われます。


その人数を多いか少ないかととるかは人それぞれですが、決して少なくはありません。ビジネススクールだけでなく、他の教育機関に進学するサラリーマンも毎年一定数いると思うので。

まあ私費でさらに家族を連れて行くという人はあまり見ないので、そういう面では思い切ってると思われても不思議ではないのかもしれませんが。


2)ある日突然思いついた決断ではない

たしかに、結果論で言えば突拍子もない決断に思えるかもしれません。サラリーマンにしてはそこそこの安定収入があり、会社の商品が日本文化に根付いているため市場規模が縮小したとしても消えない環境です。日本中の9割5分以上の人が会社のブランド名を知っているでしょう。海外の多くの人を魅了する商品でもあり、会社の製品名(固有名詞)が他社を含めた商品のカテゴリー名そのものとして海外では認知され(各社のホットソースをタバスコというように)ています。その中縁もゆかりもないスペインの大学院に、新婚・私費で進学するのです。大きな負債をかかえて。


ただこれは、5年くらい悩んで色々やっているうちにたどり着いた一番合理的かつ、日々の活動の放物線上にある決断なのです。もちろん、人生の岐路のような瞬間はいくつかありました。初めて英語を真剣にやり始めたとき、GMATの勉強や試験を受けるタイミング、アプライする学校のタイミングなどなど。ただし、全てメリットデメリット・リスクを考えて判断を積み重ねてきました。その結果、今に至っています。そして、そもそも私の中の人生像(人生の判断基準)に(1)将来老後を迎えた時にふりかえってみて、誇りに思える生き様をおくれるか(2)成長ができそうか(3)仮になにかで早死にしてしまった場合に、後悔ない生き方をしていたか   の3つを掲げています。

大学時代、多くの人がゆるーいサークルを選ぶ中、週6〜7で毎日限界に挑戦する体育会にはいりました。第二外国語も通常は週2コマ×2年間ですが、やるからには自分の強みになるまでやらなければ意味がないので週4コマ×4年間のインテンシブコースというコースをとりました。

これも全て、上に掲げた3つの基準で選んだ道で、いずれも私の中で大きなエッジや人生の糧になっています。

真剣にやった事が大きなリターンで戻ってくる事は身をもって体験している事なので、私にとって今回の決断は決して向こう見ずなものではありません。



各送別会や個別に「頑張って!」と言われ、非常に有難いかぎりです。ですが、私は必ず「お互いに頑張りましょう」と言うようにしています。

全てが最高な状態な人はいません。親の介護、子供の反抗期や不登校、仕事、配偶者、健康面や経済面の事など、何かしら心配を抱えながら生きています。また、時間が経つにつれて色々な心配事が変わってきます。そのような中で生きる者同士、頑張っていきましょう、というのが私が常日頃感じている事です。


と言いつつ、私のようなあまり脳みそを使わない職歴出身の人は周りにあまりいないので

気を引き締めて日々精進をしていきたいと思いいます。