小さな日本人の人生旅行記(ESADE MBA編)

英語が苦手だったごく平凡なサラリーマンが世界に出ていく体験を綴ります。

コロナウイルスの影響

卒業式がなくなりました。正式には延期なのですが、まだ予定は決まっていません。

 

4月以降ほとんどの生徒がスペイン以外の国で仕事をするので、実質みんながある程度揃うのはこの機会がなくなったらもう無いでしょう。

 

数年間受験勉強をする中で、家族にバルセロナという町を見せて卒業式も見せてあげれたらいいなと思い続けていただけに本当に残念です。帰国の予定も2週間ほど早めてもう2週間ほどで帰国します。

 

最後イタリアに行きたかったのですが、イタリアに行けず。やりたいことは後回しにしては行けないと学びました。スペインは日本(クルーズ船のぞき)よりも患者数が多くなってしまいましたが、バルセロナの皆さんはいたって平静を保っています。

 

とはいえ、色々と自粛してなるべく不要な外出をしないでいます。ずいぶん尻すぼみなMBA留学。こんな終わり方するとは想像できませんでしたが、やれることはいつも通りやってやる。

残り1ヶ月の低空飛行

いよいよ留学生活も最終月に入りました。卒業式まで2週間ちょっとの予定ではありますが、コロナウイルスの影響で卒業式の有無や、家族の参加状況などが不確定です。せっかくなので今まで散々迷惑と面倒をかけてきた日本の家族にバルセロナやキャンパス・クラスメイトの様子を見せたいと思っているのですが、怪しい感じになってきました。当初の予定では4月1日(4月2日着)で帰る予定ではありますが、変える可能性もあります。

 

さて、最後になってくるとお金のやりくりがキーになってきます。当然入学前から、学費・生活費・その他不可抗力でかかる費用(修理代や手続に必要なもの)などを見越して費用を調達し、定期的に予定通りの出費をしているかをチェックするなど対策をしています。ただ、計画通りに資金を調達しているので最後は本当に預金ギリギリの状態で帰国をすることになります(借金で増資をしてもいいですが、利子は避けたい)。

 

我が家では家計簿を私が管理し、毎週スプレッドシートに入力し、項目別に費用が計算されるようにしています。項目は固定費・変動費・一過性のもの(意外と不可抗力で一時的に発生する費用は多い)に大きく分けて、それぞれ細かく分解して全部で合わせて15の項目で管理しています。累積の費用変動を追えるようにしていて、変動が想定の範囲内なのかどうかをチェックするようにしてきました。しょっちゅう出費をチェックしつつ、減る一方の銀行残高を見つめていくのはきついものがあります。

 

渡航当初は旅行にお金をかけることを想定していなくて、留学当初は「やっちまった!」という感じでした。振り返るとあちこち夫婦で旅行したので想定よりも旅費が高くついたのですが、インターンの給料と日々の節約(1年目は弁当生活)で、予定通りでした。こんなことを言ってはなんですが、前の会社を辞めて退職金をもらえたおかげで費用も賄うことができました。なんとかギリギリの状況で帰国ができそうです(最後預金は日本円にして数万円程度・・・)。

 

服は全てボロボロです。今は私服用のシャツ3枚しかないのですが2枚は袖と襟が破け、1枚はペンのインクで汚れています。パーカーも切れるものは学校のやつ1枚。靴下はどれももうダメで、母指球やかかとに穴があいています。ズボンがしんどく、今は履けるものが2枚(うち1枚はジャージ)。よく周囲に「〇〇に安いのあるから買っちゃえばいいじゃん」と言われるのですが、今のやりくりの中では優先順位的にも買っている場合ではありません。最後までなんとかもってほしいものです。

 

引越荷物は全てスーツケースで直接運ぶ予定です。2人で4個ですが、自分は1個分で収まる予定です。荷物の多くをスーツと革靴でしめる感じで、ほぼ持って帰るものはありません。お金も所持品もだいぶ低空飛行ですが、一度社会に出た30代の人間にとってはなかなかない経験だと思って楽しみます。

マイノリティとして生活すること

今週の火曜日にバルセロナで初のコロナウイルス患者が発生してから、ここ3日間でだんだんとバルセロナに変化を感じています。スーパーの米が品切れになっており、危険国の認定(日本は含まれました)など、街には若干ですが緊張感が出てきています。

 

ドイツと比べてバルセロナはあまり東洋人だからといってジロジロ見てきたり、ヒソヒソ話をされることは少ないです。それはバルセロナの好きなところでありました。

 

まだ私は直接何かの被害にあったということではないのですが、嫁と嫁の友人(韓国人)がちょっとした冷遇を受けているようです。

 

一緒に歩いていた時に、工事現場のおじさんに「中国人中国人」と言われたみたいです。嫁の友人は果敢に言い返したそうですが。

また、レストランに入った時は周囲は会話を止めて警戒しながら見てきたそうです。ただ、2人の共通語がスペイン語なので、その様子を見て警戒はしなくなったようですが(おそらくこっちに住んでいる人と認識してもらえたのでしょう)。

 

バルセロナではないのですが、僕らは先日アテネに行った時はベビーカーの人にあからさまに避けられたり、シッシッとやられていたそうです。(自分は気づかず、嫁だけ気づきました。自分はなんとも鈍感・・・。)

 

日本にも自分が慣れいない物事に対して固定概念と偏見でゴリゴリに固まっている人はどこにでもいますが、国関係なくそういう考えで行動をとる人がいるので仕方ないですね。

 

逆に、多感な時期に国民のなるべく多くがマイノリティとして生活する経験をするべきなのではと思います。イチローさんも昨年の引退会見で同じようなことをおっしゃっていましたが。

また花の季節

また花の季節がきました。

バルセロナは桜にそっくりなアーモンドの花が咲き、家の前の木も緑色の花を咲かせ始めました。

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ちょっとわかりにくいですが、緑色の花が咲き始めました。

昨年は家の前の木に大量のオキナインコが来て必死に花を頬張ってました。木は花とオキナインコで緑一色。年は「来年の今頃はもう帰国する直前だな」と言いながら見てました。

ちなみに私はオキナインコが好きでよく写真をとりに出たりしています。はるか23年前ドイツから日本に帰国した時はElster(日本語だとカササギ?)が懐かしくなりました(実際にはヨーロッパ中にいるのでスペインでもよく見ます)。今回はオキナインコが懐かしい鳥になりそう。笑

 

日本ではペットとして飼う人もいるらしいのですが、なんと寿命は30年ほどだそうです(思ったより長い!)。

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この前近所で撮ったオキナインコ。器用に食べてます。

 

DELE B1合格

まるで自分が合格したみたいなタイトルですが、私の妻がスペイン語の試験に合格しました。

 

欧州には「ヨーロッパ言語共通参照枠」という、言語能力のレベルを示す共通の基準があります。Aが初級、Bが中級、Cが上級で、それぞれ1と2に分かれています(A1・A2のように)。一般的にビジネススクールの英語の基準であるTOEFL100点はおよそC1レベルであるとされています。

 

今回嫁が受かったのはスペイン語のDELEという試験(いわばオフィシャルな試験)でした。昨年11月の試験だったので、スペイン生活が始まってから13ヶ月が経つぐらいでした(間に3ヶ月日本にいたので)。直前は必死に勉強していたので合格できてよかったです。今回のスペイン生活の、彼女にとっての一つの成果となりました。

しかしまあスペイン語皆無で来て1年ちょっとでこのレベルを取れるのはすごいなと尊敬するばかり。

 

スペインの試験会場は試験監督が遅れて入ってきたため試験開始時間が10分遅れ、にもかかわらず終了時間は当初の予定通り(彼らは早く帰りたい)だったようです。また、日本では面接の時に文法を間違えずに的確なことをいうことが求められる傾向があるようですが、スペインでは「いかに話し続けられるか」が大切な要素であったようです。

 

もうすでに嫁はB2レベルのクラスをとっていたり普段の生活でスペイン語に困ることも減ってきていたので順当といえば順当だったのかもしれませんが、風邪を引いてチャレンジングな環境かつアウェーな基準の中、合格を勝ち取って本当によかったです。

 

MBAでもっともコンフォートゾーンから抜け出した授業

コンフォートゾーンを抜け出すためにビジネススクールに行く人は多いと思うのですが、個人的にもっとも抜け出せたのは、1月から履修していた「Global Sales Strategy」というクラスでした。MBAというと戦略が中心で、営業を教えるクラスは少ないイメージかもしれませんが、人気のある授業でした。
 
この授業はハーバードのMBAを卒業後、6回起業(5回成功)し、MITのEntrepreneur Centerの創業者・元マネージングディレクターであり、ドイツの大学やMITのMBAで営業についてのクラスを教えている教授でした。世界中でビジネスを拡大する事に成功し、アメリカのアントレの世界では相当なビックネームのようです。
 
このクラスは最も苦しいクラスでした。成績の付き方、それに伴う授業の内容が日本人にとって非常にタフだったからです。
 
 
・成績の50%は授業中の発言
これは日本人からするとMBAあるあるですが、日本人は授業で活発に発言をしない環境で育っているため、非常に苦労します(英語力の問題もありますが)。またこの授業のきついのが、コールドコール(突然当ててくるやつ)で、前に発言した学生の発言に対して別の観点から意見を言ったり、深堀りをするのが求められていたことでした。関係ない発言や価値の低い発言をすると減点になりました。二人のアシスタントが授業中にずっと発言をチェックしていました。通常通りケースを読んでディスカッションするのもそうですが、なんと本をまるまる一冊読んで、その内容をクラスでディスカッションしました。本は2冊読みました。
コールドコールではどうにか取り繕って発言しましたが、自分の発言内容をさらに深掘りする質問や「他には?」を繰り返され、苦労しました。挽回するために挙手で発言できる時は発言をしました。
 
・成績の25%はエレベーターセールスピッチ
なんと、最終日の前日は外部のゲストを25人ほど呼んで、カクテルパーティー(いわゆるネットワーキングパーティ)でセールスピッチをしました。2分間の間に興味を持ってもらって次のアポをとるという内容でした。ゲストはスタートアップのCEO、大企業の役員や部長クラス、投資家が来ていました。10人以上にピッチをし、毎回ピッチ後にフィードバックを受ける形でした。非常に辛辣かつ建設的なフィードバックをもらうことができました。まあ残念ながら私の場合は語学力でその他のクラスメイトにはないハンディキャップを追っていましたが。30人くらい生徒いる中でアジア人3人のみ、私は唯一の日本人。。しかもスペイン語話者同士であればはスペイン語でピッチするのも許されていたので、南米人も有利でした。どうやらこのセールスピッチではずっと教授がMITでの授業でもやり続けているようで、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事にも時折なっているようでした。
 
・あとの成績(25%)は授業直後の試験
その日の授業が終わった直後にその場で提出する形でした。その場で学んだ事の理解度を試されるものなので、いい意味でも悪い意味でも時間的効率のいい試験でした。ただ、朝9:30から18:30までフル集中でディスカッションしたあとに、試験(記述)をやるのはきつかったです。まあまだ英語力のハンディキャップは他のパートに比べて試験は少なかったですが。
 
 
 
振り返ってみて、やはりエレベーターセールスピッチのイベントが山場でした。
 
アウェーな環境の中で、初めて合う人に自分のアイデアをピッチしたのですが、最初の二人に辛辣な成績をつけられてケチョンケチョンに言われて、その後8人以上にアプローチし続けるのはやや心が折れそうでしたが、工夫をする中でだんだんと改善、最後の2人からは満点の評価を得ました。ただ、日本人が英語で短時間で営業をすることの厳しさ(特に日本企業や日本人になれてない人に対して)を痛感しました。イメージしにくい方は、日本語がたどたどしい外国人が突然パーティ会場で売り込みに来るのを想像してみてください。彼(彼女)に勝ち目はどれほどあるでしょうか。そんな感じのアウェー感です。
 
セールスピッチでの神経疲れと自分の英語面でのハンディキャップに直面し、帰り道はヘトヘトになりながら帰りました。久しぶりにスーツに革靴という格好をしたのもあるかもしれません。笑
 
次の日に教授からサプライズがありました。教授がピッチ後にゲストの方々と話した中で出てきたエピソードを教室のみんなに朝一番で共有したのです。ゲストの中で最もVIPの方(かれこれ7年間このピッチイベントに参加し、厳しい判定をする事で名の通っている人)から、「あの日本人の生徒はこれまで見てきたESADEの学生の中で一番のピッチをした。一方的なピッチではなく会話でニーズを聞き出し、構造立ててニーズに合わせるようにバリューを伝え、意地悪な反応にも柔軟に対応した。また、産業についてもよく調べていた。」という最高の褒め言葉を受けたというのです。半信半疑で聞きつつ、複雑ながら嬉しかったです。ある意味運がよかった(数撃ちゃ当たる)感じなのか、改善が報われたのか自分でも分かりませんが、ポジティブに捉えることにしましょう。笑
 
授業は基本的には世界中で営業を成功させてきた教授の経験に基づく実用的な内容でした。日本人は外国人よりも日本人に対して空気を呼んだりニュアンスを大切にしたりする嫌いがあるので(まあ当たり前っすね…)、必ずしも全てが日本のコンテクストに合うとは限らないなとは感じましたが、全体的にはグローバルに通用する製品やアイデアの売り方の基本を学ぶことができました。
 
そして成績は9.5/10という高い成績を残すことができました。教授が成績の分布を公表したため分かったのですが、約30人いた生徒の中で5位以内に入ることができました。まあ成績が高かったからどうという事もないのですが、英語がたどたどしい日本人がペラペラな外国人に「授業中の発言とセールスピッチ」で公平にやって「勝てる」という事を体験できました。ささやかな喜びの経験として、心の中にしまっておこうと思います。
 
こうやって書いてみると、別に体験しなくてもよくよく考えたり想像したら「こんな感じなんだろうな」と想像できるような体験なのかもしれません。しかし、体験するのとしないのでは大きな違いだと思っています。
 
最近は開いた時間で自分の知識を高めるような事をやっていますが、結局はコンフォートゾーンの外側にいる時にいかに自分がやるべき事を見出して着実に実行をすることが大切なんだなと思います。

スペインに住んで模擬体験した3つのこと

スペインのアパート(特に安い家賃のところ)は過去にも投稿したとおり、とんでもないことがたくさん起こります。笑

バルセロナはここのところ3日連続雨がふりました。天候のいい街だけに、雨が降るだけでいろんな問題が発生します。今回は家の水道管が壊れ、全く水が出なくなりました。流石に水が出ない中2日生活するのはきついです。トイレ事情など、こういう場ではかけないことも経験しています。

さて、今回色々経験する中で、スペインに住んで3つの非常事態の練習(模擬体験)をすることが出来ていることに気が付きました。

1. 事件
人がテラスから落ちて、アパート全体が早朝に叩き起こされました。なぜかパトカーと救急車、消防車の三つ巴で、消防隊員が自分の部屋をバンバン叩いて起こしてきました。きっと日本でもマンションで重大事件がおきたらこんな感じなんだろうなという体験をしました。

2.戦争
10月は家の周りはカタルーニャ独立派のデモ隊による放火で炎につつまれ、我が家の前の通りが警察とデモ隊の衝突の現場になりました。何かの爆発音や人の悲鳴や叫び声、ゴム弾の音など生々しい音が連夜続き、平和の大切さを学びました。といっても、日が出ている時間は平和だったので、本当の戦争の状態に比べたら甘いものです。とはいえ、模擬体験にはなりました。

3.災害
定期的な停電や水道管がの問題があり、ガスも(プロパンガス)も度々機能しなくなります。インターネットも時々故障して、ネットの会社に連絡したりしています。ライフライン、インフラが整わない状態だとどう生活に影響があるのかを思い知らされました。



そして今日はボロボロの服(これはいつもですが)で、大量の袋をもってコインランドリーにいき、シャワーを浴びるためにジムに行っています。夫婦ともども頭はボサボサ、服はボロボロなので、通りすがりの人からは明らかに避けられています。笑

上記の事は、もう少し経済的に余裕があったり、住む地域を変えたりしたら状況は変わっていたかもしれません。
経済的に豊かではない人がなぜ肥満になるのか、なぜ学習や生産的活動に時間が割けないのか、という負の循環についても体験の中で改めて考えさせられました。

でもこうサバイブする中で経験した事は貴重ですし、その中でスペイン語(最近はだんだんカタルーニャ語も聞けるようになってきました)で生きる力をつけられているように感じます。といってもほぼスペイン語は嫁に任せてしまっているのが実情ですか。。

さて、我々の家の水道はいつ直るでしょうか。